ブローラ蒸溜所

Brora Distillery

スコットランド・ハイランド、ブローラに位置する蒸溜所。ハイランド地域に分類される。
ハイランド・クリアランス(後述)の中誕生した蒸溜所の一つ。
“Brora”は「橋の架かった川(river with a bridge)」を意味する古ノルド語”brùra”から

歴史
1819年  第2代スタッフォード侯爵ジョージ・ルーソン=ゴア(George Leveson-Gower、後の初代サザーランド公爵)により設立された。設立当初の名前はクライヌリッシュ(クラインリッシュ、Clynelish)蒸溜所。
1846年  George Lawsonが取得。
1896年  James Ainslie & Heilbronが取得。同年改築される。
1912年  DCL(Distillers Company Ltd、現ディアジオ)とJames Riskが取得。
1925年  DCLがJames Riskの持分を買取り、DCLの完全傘下となる。
1931年  操業を停止。
1938年  操業再開。
1967年  隣接した場所に近代化された同名の蒸溜所が新設される。
1969年  新クライヌリッシュの設立に伴い4月に操業を停止するが、同じDCL傘下で前年に閉鎖されたグレン・ギリー蒸溜所の代役として8月に再開する。
1975年  蒸溜所名をブローラに改名。
1983年  1980年代のウイスキー不況の影響を受け閉鎖。
2017年  ディアジオが2020年に操業を再開させると発表。

ハイランド・クリアランス
スコットランドのハイランド地方では1780年代から19世紀前半にかけ、後にハイランド・クリアランス(Highland Clearances)と呼ばれることになる地域住民の大規模な強制移住が行われた。
この強制移住は、英国内での羊毛の需要の急拡大を受けて地主達が自らの土地から借地人を追い出し牧羊地とする為に行われたのだが、同時にハイランド地方の多くの氏族(クラン)が加担した1745年のジャコバイトの反乱に対する弾圧の延長、産業革命に起因する囲い込み運動、1780年代や1816-7年の飢饉のための口減らしなどの側面も併せ持っていた。
故郷を追われたハイランダー達はハイランド沿岸部やローランド地方、あるいはその後移民として北米やオーストラリア、ニュージーランドなどへの移住を余儀なくされることになる。
ハイランド沿岸部へ追いやられたハイランダー達の受難は強制移住だけには留まらず、地主や資本家達によってハイランド沿岸部に新設された紡績や蒸溜所などの工場で安価な労働力として利用されることになる。
クライヌリッシュを設立した初代サザーランド公爵は、当時イングランドとスコットランドに莫大な土地を所有した英国有数の大地主で、妻のエリザベスと共にハイランダー達に過酷な労働を強いたハイランド・クリアランスの中心的人物として極めて悪名高い。
また、ブローラの他にハイランド・クリアランス下で誕生し、現存する蒸溜所としてはタリスカーティーニニックがある。

生産
ライトリーピーテッドのウイスキーを生産していた蒸溜所だが、1969年から1973年の間同じDCL傘下のグレン・ギリー蒸溜所の閉鎖やカリラ蒸溜所の改築などに伴う不足分を補う為、一時ヘビリーピーテッドの原酒を生産していた。
閉鎖後に発売されたブローラ名義のボトルは、どれも高額な値付けがされている。

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