ラガヴーリン蒸溜所

Lagavulin Distillery

スコットランド・アイラ島の町ポート・エレンに位置する蒸溜所。
蒸溜所名は蒸溜所の眼前に広がるラガヴーリン湾(Lagavulin Bay)から採られたもので、”Lagavulin”は「粉挽き小屋の窪地(hollow of the mill)」を意味するゲール語”lag a’mhuilin”から。

歴史
1742年から同地で密造酒造りが行われていた記録があるが、ラガヴーリンの公的な設立は1816年、ジョン・ジョンストン(John Johnston)による。
1825年  ジョンは1821年に閉鎖された隣接するアードモア蒸溜所(Ardmore Distillery、現在のアードモア蒸溜所とは無関係)を購入。
1835年  アードモア蒸溜所での生産を停止。
1836年  ジョン・ジョンストン死去。蒸溜所はグラスゴーのスピリッツ商アレクサンダー・グラハム(Alexander Graham)の手に渡る。
1837年  アードモア蒸溜所を吸収、2つの蒸溜所をラガヴーリン蒸溜所として運営する。
1852年  John Crawford Grahamにより買収。
1862年  James Logan Mackie & Co.が取得。同年改築。
1889年  ジェームズ・ローガン・マッキー(James Logan Mackie)死去、甥のピーター・マッキー(Peter Mackie、彼については下に詳細)が跡を継ぐ。
1927年  DCL(Distillers Company Ltd)により買収。
1941年  第二次大戦下で生産を一時停止。
1974年  フロアモルティングを停止。
1986年  DCLはギネス(Guinness PLC)に買収され、UD(United Ditillers)へ統合。
1997年  ギネスとグランド・メトロポリタン(Grand Metropolitan)の合併によりディアジオ(Diageo)が誕生。以後現在に至るまでラガヴーリンはディアジオ傘下にある。

ピーター・マッキーとMackie & Co
1855年  
スコットランド・スターリングのセントニニアンに生まれる。1878年より叔父が経営するウイスキー商James Logan Mackie & Co.に加わり、同社が所有するラガヴーリン蒸溜所で修行を積む。
1880年代  ラガヴーリンをキーモルトとしたブレンデッドウイスキーの開発・販売を行う。またこの頃には共同経営者となる。
1889年  ジェームズ・ローガン・マッキー死去。ピーターが会社を引き継ぐ。ブレンデッドウイスキーの商品名を「ホワイト・ホース・セラー(White Horse Cellar、後のホワイト・ホース)」とし、輸出へ乗り出す。
1890年  スペイサイドにアレクサンダー・エドワード(Alexander Edward)と共同でクライゲラヒ蒸溜所を設立。
1891年  社名をMackie & Coに改名。「ホワイト・ホース・セラー」を商標登録。
1908年  ラガヴーリン蒸溜所が19世紀半ばから保有していたラフロイグの販売代理権を喪失する。これは水利権でラフロイグ蒸溜所と揉めた為と言われる。Mackie & Co.はラフロイグを提訴するが敗北。逆に水利権に関してラフロイグから提訴される。
同年、ピーターはラガヴーリン蒸溜所の敷地内にモルト・ミル(Malt Mill)と名付けられた蒸溜所を設立。ラフロイグ蒸溜所からわずか数マイルに位置するこの蒸溜所は、ラフロイグのコピーを生産する(そしてラフロイグの売上を奪取する)目的で建てられたが、成功しなかった。
1916年  クライゲラヒ蒸溜所を完全傘下に収める。
1920年  ピーター、準男爵(Baronet)に叙せられる。同年キャンベルタウンのヘーゼルバーン蒸溜所を買収。
第一次世界大戦で後継者を失っていたピーターは、1920年代に入ってから社の売却先を模索。ジョン・デュワー・アンド・サンズ(John Dewar & Sons)と交渉したが合意には至らなかった。
1923年  Sir George Macpherson-Grantと共同でクラガンモア蒸溜所を買収。
1924年  サー・ピーター・マッキー死去。社名はホワイト・ホース・ディスティラーズ(White Horse Distillers)に変更。
1925年  ヘーゼルバーン蒸溜所閉鎖。
1927年  ホワイト・ホース社はDCLにより買収される。
1962年  モルト・ミル蒸溜所閉鎖。

生産
現在のアルコール生産能力は年間253万リットル。

蒸溜所公式サイト: malts.com

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