ラフロイグ蒸溜所

Laphroaig Distillery

スコットランド・アイラ島の町、ポート・エレンに位置する蒸溜所。
“Laphroaig”の解釈は諸説あり不明。蒸溜所は”the beautiful hollow by the broad bay”の意だとしているが、残念ながらその根拠は示されていない。アイラ島生活博物館が発行した資料によれば「洞窟のある窪地(hollow where cave is)」を意味するゲール語”lag fròig”から、もしくは大昔この地域が”Freag”と呼ばれていたことに由来するのではないかとしている。

歴史
1815年  アレクサンダーとドナルド・ジョンストン(Alexander and Donald Johnston)兄弟により設立。
1836年  ドナルドがアレクサンダーの持分を買取り単独オーナーとなる。
1837年  蒸溜所の至近距離にArdenistiel蒸溜所が設立される。
1847年  ドナルドが蒸溜所内での事故により死亡。ラフロイグは当時ラガヴーリン蒸溜所の支配人だったウォルター・グラハム(Walter Graham)の手に渡る。
1857年  ドナルド・ジョンストンの息子ドゥーガルド(Dougald)が蒸溜所を買い戻す。
1860年  Ardenistiel蒸溜所と合併。
1877年  ドゥーガルド・ジョンストン死去。ドナルドには後継者がいなかった為、妹のイザベラ(Isabella)とその夫アレクサンダー(Alexander Johnston)が蒸溜所を相続する。
1907年  アレクサンダー死去。アレクサンダーの姉妹キャサリンとイザベラ(Catherine and Isabella)が相続。
1908年  イアン・ハンター(Ian Hunter)入所。この頃ラガヴーリンとの間に起訴問題を抱える。(詳しくはラガヴーリン蒸溜所、ピーター・マッキーの項参照)
1924年  ポットスチルを4基に増設。
1927年にキャサリン、翌1928年にイザベラが相次いで死去し、イアンが新たなオーナーとなる。
1954年  イアン死去。イアンの秘書だったエリザベス「ベシー」ウィリアムソン(Elisabeth “Bessie” Williamson)が蒸溜所を相続。
1967年  シーガー・エヴァンス(Seager Evans and Co.)が蒸溜所を買収。同年スチルを5基に増設。
1972年  ベシー・ウィリアムソンが支配人を引退。スチルを7基に増設。
1975年  シーガー・エヴァンスがウィットブレッド(Whitbread & Co.)により買収される。
1989年  ウィットブレッドがスピリッツ部門をアライド・ディスティラーズ(Allied Distillers)に売却。
1994年  チャールズ皇太子によりロイヤルワラント認定。
2005年  アライド・ドメク(アライド・ディスティラーズの親会社)が仏ペルノ・リカール(Pernod Ricard)により買収されアライド・ディスティラーズは解散、ラフロイグは米フォーチュン・ブランズ(Fortune Brands、後のビーム)へ売却される。
2014年  ビームがサントリー・ホールディングスにより買収される。以後蒸溜所は現在に至るまでサントリー傘下にある。

禁酒法とラフロイグ
1920年にアメリカ合衆国で施工された禁酒法によりスコッチ・ウイスキーの輸入も停止されたが、ラフロイグは「薬用酒」の名目で例外的に輸入が認められていた。

生産
現在のアルコール生産能力は年間330万リットル。今尚自らフロアモルティングを行う(使用量の20%を生産)数少ない蒸溜所の一つ。

公式サイト: laphroaig.com