Teaninich Distillery
スコットランド・ハイランド(行政区)、アルネスの南西に位置する蒸溜所。ハイランド地域に分類される。
ハイランド・クリアランス(ブローラ蒸溜所の項を参照)の中誕生した蒸溜所の1つ。
“Teaninich”は”The House on the Moor(荒地に建つ家)”を意味するゲール語”Taigh an Aonaich”から。
歴史
19世紀初めに地所ティーニニック(Teaninich Estate)を所有したヒュー・ムンロ( “Capitain” Hugh Munro)は、フランス革命戦争(1792-1802)へ出兵し視力を失ったが、帰国後地所の開発を精力的に推し進めた。
1817年、この開発の1つとして、地所に建つティーニニック城の一部を改築してティーニニック蒸溜所を設立する。
1831年 ヒューは弟のジョン・ムンロに地所を売却。
1846年 ヒュー・ムンロ死去。
1850年 ジョンは1年の大半をインドで過ごす生活を送っていたため、ロバート・P・パティソン(Robert P. Pattison / 後にパティソン事件で悪名を馳せる)へ蒸溜所をリースする。
1869年 蒸溜所はジョン・マクギルクリスト・ロス(John McGilchrist Ross)へリースされる。
1895年 ムンロ&キャメロン(Munro & Cameron)へ蒸溜所をリース。
1898年 ムンロ&キャメロンが蒸溜所を購入。
1904年 ロバート・イネス・キャメロン(Robert Innes Cameron)が単独オーナーとなる。
1932年 ロバート死去。
1933年 DCL(Distillers Company Ltd. )が蒸溜所を買収。以後ティーニニックはDCL、現在のディアジオの傘下にある。
1939年〜1946年 第二次世界大戦による原料不足を受け生産を停止。
1970年 スチル6基を備える新たな蒸溜棟を設置。以後新蒸溜施設はAサイド、旧来の蒸溜施設はBサイドと呼ばれる。
1973年 Bサイドを改築。
1975年 ウイスキー生産から排出される廃液を「ダークグレーン」と呼ばれる家畜の飼料へ加工する設備を建設する。
1984年 Bサイド閉鎖。
1985年 Aサイドも閉鎖される。
1991年 Aサイドで生産を再開。
1999年 Bサイドの施設を撤去。
2000年 マッシュ・フィルターを設置。
2014年 新たなスチルハウスを建設。スチルは計12基に。
2015年 さらにスチル6基を増設する。
生産
設立当初から積極的に宣伝・販売を行い、19世紀初頭から知名度を獲得した数少ない蒸溜所の1つ。
近年大増築を敢行し、アルコール生産能力はディアジオ傘下蒸溜所の中でも屈指のレベルである年間1,020万リットルにまで増強されており、「ジョニーウォーカー レッドラベル」を初めとするブレンデッド・ウイスキーの生産を支える蒸溜所の1つとなっている。
また2000年に導入されたマッシュ・フィルターは麦芽の糖化を伝統的なマッシュ・タンを用いずに機械的に行う最新鋭の設備で、2018年現在これを用いるのはティーニニックとローランドの新鋭、インチディアニー蒸溜所のみ。